陰キャは絶対群れるな

こんばんは。

今回は少し過激なタイトルですが、思うところがあって書きたいと思いました。

私は今までの人生で所謂、「陰キャラ」あるいは「陰キャラ寄りの人」にたくさん出会ってきました。またそのような人達の方が基本的に馬が合うというか、話しやすいと感じてきました。

 

私が思ってきた彼らのイメージは「基本的に真面目」で、「攻撃的でなく大人しい」。

またそのことに対して、接する中で心地良さとある種の安心感を得ていました。

そして、どの社会でもそうですが、人は自分と似ている人に仲間意識を抱きます。

勿論、彼らも例外ではなく同じように似た人達と集まり、話し、行動する傾向があります。

それ自体は人間の基本的な性質ですし、否定されるものではないです。

しかし、時間が経って様々な経験をする中で少し、自分の考えが変わりました。

それはどういうことかというと、

「人間は、群れになると必ず自分より下の人を見つけ出したがる」

ということです。

皆さんも経験があると思います。

そして所謂、冴えない人たちが集まると冴えない人通しでマウンティング合戦が始まり、はたからみると地獄絵図になります。

もちろん、群れることそのことは決して悪いとは言えません。

お互いを高め合い、新しい考え方や刺激を与えあえる関係ならばそれはきっと続けていくべき関係です。

しかし、惰性で付き合い、相手を下に見ることで精神的な安らぎを得ようとする関係ならば、それはどちらにとっても不幸なことです。

それではどうすれば良いのか。

私は、「自分と向き合う時間を作り、自分自身で自分を高めていく時間にする。」ことだと思います。

 私は社会人になってから、時間の貴重さを知り、よりこの考えに至るようになりました。

学生時代は、孤独感から逃れるため惰性で付き合ってしまっていた部分がありました。

1週間に一度は必ず会うので話すこともそんなに目新しいことはありませんでした。

その友人がいることが当たり前になり、そのありがたみは当時は分かりませんでした。

卒業してだんだん疎遠になってくると、「その時の関係はなんだったんだろうな。」と思うこともあります。

この経験で得たことは、当たり前のことではありますが、「友人とは適度な距離を保てる時が一番良い関係を維持できる」ということです。

 

私は旅行が趣味で学生時代もよく一人旅をしていました。

一人旅は楽しいこともたくさんある反面、やはり寂しく感じるときもありました。

ただそんな時ほど、普段からつるんでいる友人たちを思い出し、普段の何気無い会話であったり、くだらないやりとりが楽しかったことを思い出します。

この旅行が終わったらどんなことを話そう、どんな景色を見てきたかを話そうかと考えているときはとても充実した時間でした。

以前に読んだ本の中でとても印象に残っている言葉があります。それは、

 

「一人遠くの場所にいるときこそ、友情が月の如く輝いて見える」

という言葉です。

これは友人との関係の本質をついていると思います。

大人になれば、それぞれが自立した存在として付き合うからこそ、より良質な関係を築けるのです。

とはいえ、精神的に自立するというのはすぐにはできることではありません。

ただ、このようなことを常に心の片隅においておくことで良い関係を築く第一歩になるのではないでしょうか。

2021.8.28